長井長義

科学

覚醒剤と覚醒剤中毒の代名詞が昭和18年から昭和25年にかけて大日本製薬が発売した「ヒロポン」でした。我国薬学の祖として有名な長井長義はドイツ留学の後、1883年、政府出資官製会社の大日本製薬の設立に技師長として参画、1885年には麻黄よりエフェドリンを単離し世界で初めてエフェドリンと命名しました。

その後アンフェタミン類までも抽出合成に成功。この喘息治療薬のエフェドリンの合成過程から誘導されるアンフェタミン類つまりアンフェタミンとメタンフェタミンのうちメチル基の付いているメタンフェタミンの方が薬理作用が強くこれが「ヒロポン」で、メタンフェタミンは1893年に長井長義により合成されております。

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