都市社会の脈絡の中での家族パターンの変化と農村の衰退も、これまでに前例がない。家族や村を結びつける絆は、新石器農業革命以来、大多数の人類の生活をかたちづくってきた。そのように基本的な制度の崩壊は、これまでの人間社会のパターンから、われわれがはっきりと離れてゆかねばならぬことを予示しているのかもしれない。しかし、都市生活が長期にわたって生き残れるものかどうかは、まだ証明されていないのだから、だれもたしかなことはいえない。
かつては、都市の環境は病気感染の機会が多く、都市居住者の長期にわたる生存が不可能だったから、都市人口は田舎からの移住に依存していた。現代の都市においては、家族パターンの変化が似たような現象を生み、人々の結婚を遅らせ、出生を減少させ、人口の連続性をあやふやにしている。
まず、経口避妊剤がはじめて市販されて、簡便、安価、かつ確実な産児制限の方法が、1960年以後やっと普及しはじめた。これらのピルは、人間の行為に広汎な変化をもたらした。というのは、性行為はもはや望まぬ妊娠の危険からまぬがれることになったからである。
これに加えて、新しい家庭用器材−洗濯機、真空掃除機など−や、冷凍食品その他のコンヴィニ食品が出回って、料理や家政に専従者が必要でなくなった。無報酬の家事がパートタイムの仕事になったのだから、女性は家庭外で給料のためにはたらくのが実際的だ、ということになった。第二次大戦中の労働力不足が、無数の新しい職に婦人をつかせた。そして、大部分の国々で、職場で女性に平等の機会を与えることをさまたげていた法や習慣上の障壁が取り払われ、この傾向はその後もつづいた。
だが、幼児や子供の保育はパートタイムではすまされない。そこで、都市に住む女性たちが、その忙しい職業生活の中に育児をうまく組みいれるのは、とてもむずかしくなった。夫が進んで助けてくれる場合ですら、育児は農村におけるよりはるかに両親の生活をみだす。農村ならば仕事と生活の場が同じで、小さな子供までが、家屋敷で手助けをして、親の収入を助けてくれる。こうしたわけで、生まれる子供の数がへり、しかも遅い子になって、裕福な都会人の数が経ってゆく、という結果を生んだ。
コメント