ヨーロッパ人が絶え間なく侵入し、撹乱をはじめたとき、非西欧世界のすべての人々は、少しずつ、それに対して対策を立てることが必要であると感じはじめた。
このような変化が熟するのには時間が必要だった。コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランが地球上の大洋を横断して航海してから丸二百年の間、アジアの古い伝統的な諸文明は、ヨーロッパの高まりゆく富と力が新たに海を越えてもたらす挑戦に対して鈍く反応するだけであった。アメリカ大陸や、それよりさらに発展の度合いの低い北アジア地方において、ヨーロッパの衝撃は、それよりはるかに強力であった。地球上のこれらの広大な地域において、ヨーロッパの先駆者たちの伝道的精神や技術的優位と向かいあったとき、固有文化が衰退した。その結果、ヨーロッパ型の社会が、本来の中心部から東と西に拡大し、シベリアの奥地や、大西洋を越えて新世界にまで浸透したのである。
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