貨幣の象徴化作用 金銀比価

経済

今日、われわれが、紙や電子記録でしかなくなった通貨に永遠の価値を見出すのは、モノとモノの交換によって形成されている人類の社会関係がそこに反映され、貨幣が自立した表徴として機能しているからである。貨幣を崇拝するという人類の行動様式は、言葉を操る人類が言語中枢において本能的に有している「象徴化作用」の働きによるものだ。言葉はものを音声として象徴し、その象徴の交換によって、人類は意思の疎通を図っている。別々の個体が、音声や表情などの象徴の交換によって、相互に一定の意味を共有し得るのは、多くの生物種が本能として持っている「共感作用」の働きに基づいている。貨幣は、交換という社会関係を通じて現れる交換価値をあらわすものとして認知されているが、本質的に「象徴」されているのは、社会関係そのものである。

BC1000年頃、古代エジプトでは、金銀比価は「2.5:1」、つまり、銀が金に対して2.5倍の価値があったそうだ。金は自然金(主に砂金)として見つかるのに対して、銀は自然銀の形でみつかることがほとんど無く、精錬技術も無かったために、貴重視されていたためである。

BC6世紀になると、史上初めて貨幣を鋳造したリディアにおいて、金と銀の精錬技術が進歩し、純度の高い金貨・銀貨が発行されるようになった。これによって銀の安定供給が果たされると、銀の値段は急落し、本来の希少性を反映し、金と逆転した。

16世紀に入ると、スペイン人による南米侵略の過程で、銀鉱山が相次いで発見された。1520年代にメキシコ、1530年代にペルー、1545年にはボリビアのポトシ銀山が発見されている。更に「水銀アマルガム法」という水銀を利用した画期的な精錬法によって銀の生産性が飛躍的に向上し、大量の銀がヨーロッパに流入するようになり、金銀比価は、「1:12」前後から一挙に「1:15〜16」くらい大きく変動し、銀の相対的価値が低下した。銀本位制を採用していた各国は、銀貨に含有される銀地金の「実質的価値」の低下によって、急激なインフレーションに見舞われ、欧州の高コスト銀山に依存していたフッガー家などが没落した。この超インフレを歴史上「価格革命」と呼んでいる。

16世紀、アジアでは、銀が相対的に高く評価されており、金銀比価は、中国「1:9」、朝鮮「1:10」、インド「1:12」であった。欧州では、金銀比価は「1:15〜16」であったので、大量の銀が欧州・新大陸からアジアへ流入する一方、金が欧州へ持ち去られた。

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