「現人神」

天皇

伊藤博文は、大日本帝国憲法制定にあたって、西欧では「法の下での平等」が、キリスト教での「神の前の平等」の土壌を踏まえてのものであるが、日本には、そういった「宗教」的権威はなく、それに代わるものとしては「天皇」しかないと考えていたらしい。

「現人神」という用語については、万葉集に「住吉の現人神」の1例がある。この用例の用字は「荒人神」である。古事記には用例がなく、日本書紀には①「吾は是現人神の子なり」(景行紀)②「現人之神なり」(雄略紀)の2例がある。

『和名抄』に「現人神 和名安良比止加美」とある。『攷証』には「荒は現にて御形の人と現れませるよし也」と説かれている。①の用例は、日本武尊の言葉として発せられたもので、具体的には景行天皇をさしている。②の用例は、雄略天皇に似た姿で現れた一言主神が自らを呼んだ呼称である。

こうした例から神が人として姿を現したものと考えられるが、加えて人でありながら神であるという「天皇即神思想」を表したものとみることができる。

 

万葉集の用例は、住吉の神が人の形で姿を現したものをさすと思われるが、記紀には用例がない。ただ、『住吉大社神代記』では「住吉現神」「大神現霊男神人賜」などの例がみえる。

 

天皇の本質が宗教的権威であることは多くの学問領域で既に指摘されている。戦前の天皇はまさに現人神であり、それは1945年まで続いた。敗戦を機に、社会政治的に天皇は、人間宣言を通して我々と同じ人間となった。実際、現代の日本人で天皇を神に等しい存在「現人神」と受けとめる人は皆無だろう。

戦後に生きる我々にとって、無垢な民衆が過去の一時期、現人神(カミ)としての天皇(制)を上から押し付けられ、政治的右派や軍閥に扇動された結果、壊滅的な破局に突き進んでいったと思い込むのはたやすい。

しかし、柳田國男や宮田登が民俗学で明らかにしたように、「人を神に祀る風習」という神を希求する民衆側の欲求と天皇(制)が皮膚感覚的に重なり合うことで情緒的一体感が形成された事実を忘れるべきでない。

 

原武史(2001)は明治から昭和にかけて行われた天皇の「行幸」を詳細に検証し、行幸によって天皇が国民の前に生身の身体を晒すことで、天皇を主体とした視覚的支配が確立されていった様子を見事に描き出している。

こうした天皇の行幸は国家が支配を確立するために、意図的に用意し、公式に「仕組んだもの」であることは明らかだが、そこに参加した人々はそこで「タマフリ(鎮魂・魂振る)」とでも云う内発的な情緒的一体感や感情的高揚を経験した様子を原は丹念に記載している。

民衆側のこうした「タマフリ」反応は、戦後、「人間天皇」となった昭和天皇の全国行幸の様子や近年の皇室をめぐる民衆の反応をみても頷けるものであり、米国が戦後の進駐政策にこれを最大限利用したことはよく知られている。

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