国鉄時代は「総合職」といった名前はなく、本社採用が今でいうところの総合職だった。大学卒は「学士様」と呼ばれ、何万人単位で採用される国鉄職員のうち、100名にも満たない超エリートであった。国鉄に入社する人は、大学の中でもかなりのステータスが高く、国鉄の入社試験に落ちた者が官僚になったと言われた時代もあった。現在や過去のJR各社のトップの経歴を調べてみてほしい。見事に東大卒や京大卒で占められている。国鉄の学士採用は、入社して数年もすれば現場を管理する助役になり、何十年も働いている現場採用の人をあっという間に追い抜いて管理職になる。まさにエリートコースに乗った人生である。もちろん労働組合の力が圧倒的に強く、また大赤字の国鉄の経営を立て直すという、今とは比較にならない苦労もあっただろう。
国鉄総裁は、初代下山総裁から数えて10代目杉浦喬也氏まで10人いたが、任期を満了して退職したのは、石田禮助総裁のみであり、それ以外の総裁は任期途中で何らかの理由で引責辞任に追い込まれている。
下山 定則 1949年6月1日〜1949年7月6日 下山事件で死亡
加賀山之雄 1949年9月24日〜1951年8月24日 桜木町事故で引責辞任
長崎惣之助 1951年8月25日〜1955年5月13日 紫雲丸事故で引責辞任…
磯崎 叡 1969年5月27日〜1973年9月21日 「マル生運動」後の混乱を受け辞任
藤井松太郎 1973年9月22日〜1976年3月5日 スト権奪還ストの責任を取り辞任
高木 文雄 1976年3月6日〜1983年12月1日 労使協調路線のため政府から圧力 …
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