西原借款

政治

「西原借款」とは、第一次世界大戦中、日本の寺内内閣が中国の段政権を助けるため、外務省・軍部の対華政策と異なる経済提携策、いわゆる「大蔵外交」としてうちだし、寺内の私設秘書である民間人で大陸浪人の一人・西原亀三に秘密交渉にあたらせて行った8回にわたる借款である。

「西原借款」は正規の外交ルートによらず、西原亀三が、首相および大蔵大臣の勝田主計の意向を受けて交渉にあたり、その契約内容は総額1億4500万円の借款、武器供与3200万円、合計1億7700万円であると言われている。これがいかに巨額であるかは、日清戦争の賠償金が2億3000万円であることから分かる。

当時の中国国内は、北京の段政権に対して、広東軍政府を中心とする南方勢力が対立していた。この借款は、第一次世界大戦で日本に流入した外資を中国に投資して、段政権による中国統一を援助すると同時に、経済利権の確保を狙ったものであった。

西原借款の原資には、大蔵省預金部資金と政府保証興業債券収入を充て、日本興業銀行、朝鮮銀行、台湾銀行の3銀行を通じて供与された。

しかし投資の大半は、中国国内の南北争乱中の段政権の政費に費消され、段政権の瓦解で回収不能となった。日本では担保不確実な不良債権として、また中国では高利の国恥借款として非難を浴びた。

1926年、不良債権となった西原借款は公債に肩代わりされて日本国民の負担となった。一方、中国では国民政府が成立し、段政権の負債には責任がないと債権の棚上げを主張し、結局、西原借款の全額回収は実現できなかった。

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