昭和22年には日本社会党が総選挙で勝利し、片山哲内閣が成立した。この内閣は経済安定本部を設置する。この組織の仕事は、財政・経済政策全体の立案である。つまり、大蔵省主計局の予算権限を奪おうと目論んだのである。
経済安定本部の長官は和田博雄という、戦前から「あいつはアカだ。ソ連の手先だ」と疑いを持たれ、逮捕された経歴もあるような人物である。また、戦時中に大蔵省を苦しめた近衛文麿の人脈に連なる人物である。さらに、その秘書役の総務長官は勝間田清一で、後に和田とともに日本社会党左派の領袖となるような人物である。
要するに、大日本帝国を滅ぼした日本人勢力が、追撃とばかりに占領軍の権力を使って日本の中枢である大蔵省を潰そうとしたのである。
社会党中心の連立内閣は16ヵ月間続くのですが、大蔵省は、GHQ民政局を後ろ盾とする彼ら社会主義者たちと対立することになります。こうして、大蔵省は自らの組織を守るために戦ううちに、日本を弱体化しようとする勢力の正体が社会主義者、ひいてはソ連に連なる人たちだと気づくことになるのです。
結論から言うと大蔵省はこの戦いに勝利している。その陣頭指揮を執ったのは、戦前からの大蔵省のエース、福田主計局長であった。その手法を簡単に言えば、経済安定本部に大蔵省の人材を送り込み、大蔵省の意に反する政策をさせないようにするというものであった。
ホイットニーやケージスは数字に弱く、彼らは福田以下の大蔵官僚が何をやっているのか分かっていない。そうこうするうちに、経済安定本部の組織そのものが骨抜きになった。また、占領軍内部にもケージスたちを白眼視する勢力があった。その代表がESS(経済科学局)である。
渡辺武終戦連絡部長などは毎日ここに通いつめて情報を入手した。ケージスらの失敗を狙うESSにも、大蔵省を通じて邪魔をするという思惑があった。占領軍の役人にも功名心があるから、そこに付け込み、日本統治を成功させるには大蔵省の協力を得た方が得策だと思わせたのである。かくして主計局は大蔵省に残った。
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