計画的発明の技術

経済

アインシュタインは1905年に、空間と時間は単一の時空連続体に解消するという説を発表した。その時空連続体の性質によって、ふたつの物体の相対的な運動における変化が、一方からする他方の計測に影響するというのである。

1914年以前には、重要な発明のほとんどは、個人の研究者がひとりで研究を重ねることによって成し遂げられてきた。発明したものが実際に使われるためには、発明者本人や仲介者らが苦労しつつその価値を人々に納得させようと努力しなくてはならなかった。

発明と実際の応用とのあいだに見られたこの伝統的な関係は、第一次世界大戦で逆転し、さらに第二次世界大戦中に劇的な局面をむかえた。

 

まず最初に、どのような機械や武器を作らせたいかが決められ、それから専門家たちが、希望どおりの品物を作るという仕事にとりかかるのである。いまや発明とは、計画にもとづいて、しかもある程度の管理のもとで行われるプロセスとなった。

計画的発明の技術は、戦争と不況の時代を通じて広くいきわたった社会経済の統制技術と似通っていた。

 

まず第一に、全工程がいくつかの構成部分に分析される。それから、工程を立案通りに動かすには、規模の拡大か、方法の変更が必要な「隘路」となった問題が探られる。それが見つかったら、今度はそこに努力と創意工夫を集中し、新しいアイデアを出して、いくつもの実験を経たあとで実用化にうつし、工程全体の能力を引き上げるのである。

 

計画的発明の工程は、人類の理性がかちえた大きな勝利だった。他の分野においても、とりわけ社会科学において、人間の理性はいくつかの際だった勝利をかちえた。

例えばケインズらによる理論は、経済学に大きな進歩をもたらした。大戦間の時代にイギリスを苦しめた不況について考察したケインズは、たとえ自由主義経済であっても、経済活動の水準を維持するためには、政府がその政策を通じて貨幣と信用の供給に力を及ぼすことが重要だと考えたのである。現実の経済活動に関する詳細な統計データに裏打ちされたこの理論に基づいて、経済学者たちは政府の経済政策に助言を与える立場にたった。

 

彼らは税と金融政策の調整について助言を与え、大戦間の時代にあれほど人々を苦しめた、にわか景気から不況への転換について、完全とはいかないまでも、ある程度まで抑制する方策を提供したのである。共産主義政権下の命令系統を通じた通じた統制経済に比べて、こうした間接的統制はより効果をあげるものと予想された。巧みに管理された市場機構を通じることによって、需要と供給はより適切に行われるうると考えたからである。

 

「経済」という荒馬を乗りこなそうとするケインジアンたちの社会実験が、1930年代のアメリカ合衆国で、第二次世界大戦戦中の満州国で、戦後の日本で行われた。

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