1500年代の銭貨

経済

1570年代になると、銭貨には北宋銭と、京都では忌避の対象であった明銭で構成される精銭の「古銭」・模鋳銭などで構成される悪銭の「次銭」によるシンプルな階層化が形成していた。同時期には、金に貨幣機能が備わるようになり、中世後期北陸の通貨事情における画期は1570年代であったと指摘できる。

この金・銭は、高額貨幣・低額貨幣としてすみ分けがなされていたため、両者は併存し、機能していた。そして、1590年代末に銀が登場することにより、これまで金・銭により記載されていた取引が銀建てへと急激に変わっていった。つまり、金・銭の貨幣としての機能が銀により一挙に吸収されることとなったのである。

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