日露戦争の結果

日本

日露戦争の結果、日本は韓国の保護国化を実現し、旅順・大連の租借権と東支鉄道南満州支線の譲渡をうけ、七大国の一つとなった。

しかし、日露戦争は英米から戦費の4割と兵器弾薬の大半を供給されて戦ったもので、東アジアにおける英米の利益を代弁したものであったから、戦後ただちに東アジア民族運動と対立し、ついで中国分割をめぐってアメリカと対決することになった。

かくて、日本は帝国主義国として確立し、日本外交の課題はかつての不平等条約の解消から近隣諸国への抑圧と膨張に転化したのである。

軍部はまたいきなり軍令第一号で首相の副署を要しない軍令という命令形式を制定し、政府内の政府としての地位を固め、外務省とは別個に独自の大陸政策を立案、遂行した。

政党と財閥に基礎をおく西園寺内閣は軍拡と大陸侵略を抑制しながら、対米協調を通じて近代化をはかった。

これに対し、軍部は統帥権の独立を理由に独自の政策を追求し、それに必要な軍拡を議会の反対を押し切って実現するために、米露をともに想定敵国とする帝国国防方針を天皇陛下の権威を借りて軍部限りで策定した。

日本の大陸進出に応じてアメリカの大海軍論者は日本の脅威を力説して軍拡を煽り、アメリカ艦隊は日本に対する示威を目標に世界就航に出発した。

日本は明治43年、ロシア政府との間で、南北満州をそれぞれ特別利益地域と認め合う日露協約を結び、ついで韓国を併合した。

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