前田利家 長束正家 佐々成政

日本

前田利家は、当時の平均身長を大きく上回る約182cmという恵まれた体格を生かして、6m超の槍を振り回し戦場で活躍するかと思えば、当時日本に伝わったばかりの「そろばん」を使いこなすほど計算も得意だったと言わている。

豊臣家五奉行の一人、長束正家は近江国の出身。彼は英才俊逸にて将帥の器量、勇謀は常の人のものではなく、その上《天下無双の算術》の使い手であった。

仏の道を極めようと、厳しい修行を重ねる播隆上人は、1824年に北アルプスの笠ヶ岳に登り、頂上に阿弥陀如来像を安置した。その時、遠く槍ヶ岳を見て登頂を思い立ち、それから4年後の1828年、仏像を持って槍ヶ岳登頂に成功した。

信長没後、勢力を伸ばしてきた秀吉に対して、佐々成政は信長の次男・信雄を推して織田家再興をはかるべしと遠州浜松の家康に会って進言しようとする。しかし、西に前田、東に上杉、南は秀吉の勢力範囲とすべて敵の領地。そこで考えたのが厳冬の立山連峰を越えて信州に出るという無謀とも思える北アルプス横断であった。

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