「虎ノ門事件」と正力松太郎

日本

「虎ノ門事件」で警視庁警務部長正力松太郎は警察の責任者として免官処分を受けた。かくして、正力松太郎の官界生活は、終わりをつげた。順調にいけば、次は県知事に就任するはずだった正力は、官界を去らざるを得なくなったのである。

官界を去らざるをえなかった正力松太郎は新聞業界への転身を決意。後藤新平のカネで読売新聞社を買った。大正13年頃、読売新聞の発行部数は4万部で、東京の新聞社としては、三流に位置していた。朝日新聞や毎日新聞の足元に及ばない存在であった。

後世に、正力松太郎は「日本のテレビ放送の父」「原子力の父」「プロ野球の父」と呼ばれるが、CIAの対日心理戦協力者だった。アメリカ公文書館で発見された474頁に及ぶ「CIA正力ファイル」。この文書は、日本へのテレビ導入はアメリカが情報戦の一環として「仕組んだ」ものだったという事実を浮かび上がらせる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました