大牟田爆発赤痢事件

日本

昭和12年9月25日、夕方から夜にかけて突然、福岡県大牟田市内で多数の幼児が高熱、嘔吐、けいれんを起こして次々に倒れるという事件が発生。市内の医師たちは徹夜で駆け回りましたが明け方には死者が出始めています。

26日の大牟田市は修羅場でした。どの病院、医院にも患者が殺到、医院に入りきれない親子が路上に溢れ、何人もの幼児が診察を待つ間にけいれんを起こして次々と亡くなっていきました。母親たちは半狂乱になって医師を訪ね歩きました。

この事件はのちに「大牟田爆発赤痢事件」と呼ばれ、厚生省水道課は昭和37年に編纂した水道汚染による伝染病集団発生事例のトップにこの事件をとりあげ、世界史上に例のない集団赤痢として紹介しています。

当時の大牟田市の人口11万人に対し、10月までの患者数12332人、死者は712人。全市の1割以上の人が罹患したという大惨事となりました。28日には多すぎる死者に火葬場が過熱、全焼。それ以後火葬場の広場にマキを積んでダビに付したのでした。

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