「奥書割印」という公証制度は、人民にとって簡易、無料という点においてなじみ深い制度でした。しかし、公証簿の管理保存の不完全さという点において、過渡期の制度でした。不備欠陥の具体的なものは、公証簿の焼失、紛失、虫喰い、内容の錯雑などで、奥書割印を担当する戸長や筆生などの吏員の不正も発生したといいます。
近代的な登記制度を必要とする情勢は熟し、おりしも大蔵卿松方正義による紙幣整理の断行により、不換紙幣償却のための元資を必要としていた政府にとって、登記法の制定は登記税収入を見込む絶好の機会でもあり、明治14年から内務省で、ついで明治17年から司法省で、登記法の制定のための調査が行われることとなった。
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