日本で初めて発生した大規模な一揆は、1428年の正長の徳政一揆(土一揆)だった。この年、天候不順のため作物は不作で、奇妙な疫病が流行し、人々は貧苦にあえいでいた。当時、貨幣経済が農村まで浸透し、多くの農民が土地を担保に高利貸(酒屋・土倉)から借金をしていた。
このような状況下にあって高利貸らは、無情にも金を返せぬ農民から平然と土地を取り上げた。生きるすべを失った農民たちは、ついに徳政をかかげて蜂起する。近江国(滋賀)からはじまった一揆は、たちどころに膨れ上がり、京都・奈良へ波及し、酒屋・土倉・寺院などを破壊した。
その後も衰えを見せぬ一揆に対し、室町幕府は守護大名に鎮圧を命じた。ところが一揆勢は、敢然と守護に立ち向かったのである。「天下の土民がこのように公権力に反抗するのは、日本はじまって以来である」そう興福寺の尋尊は驚いている。
結局、幕府は徳政令を出さなかったが、諸寺院の所領や荘園が、領内における徳政を認めたことで、ようやく一揆は沈静化した。
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