難民問題

社会

 

 2006年にはすでに4000万人に届こうとしていた難民の数が、10年を経た今、6000万人を超えるほどに膨らんでいます。内戦や迫害、災害から逃れるため母国を離れざるを得なかった人びと。着の身着のまま国境を越え、ときには命をかけて海を渡る人びとが増えていく一方の現状は、第二次世界大戦後、最悪の事態といわざるを得ません。

難民の願いは、安全な暮らしを取り戻すこと。食料、水、医療、住まい、服はもちろん、教育を受け、働く機会を得て、家族とともに暮らすこと。いずれも私たち人間にとって、最低限の尊厳を守り、生きていくために必要なものばかりです。

難民問題は、従来の方法や枠組みだけでは、もはや対処しきれない段階に入りつつあります。しかし、世界がグローバル化するなか、難民問題は決して遠い問題ではありません。たった今も、生命と尊厳を脅かされ続けている隣人の問題であり、私たちの未来にも直結する問題です。

 

難民は私たちと同じ、普通の人びとです。

 

普通の人びとが、内戦や人権侵害、民族や宗教の違いによって起こる迫害により、家や土地を追われ、安全に暮らすことのできる土地を求めて国境を越える。やむを得ず、難民になったのです。

しかし、パリやベルギーで起こった同時多発テロがきっかけとなり、これまでヨーロッパが比較的寛容に受け入れてきた難民を、これ以上受け入れない、排除しようとする新たな動きが、一部で目立つようになりました。難民はさらなる犠牲を強いられています。

予想をはるかに超えた数の難民を受け入れるには、相当の予算、人員、居住施設が必要です。宗教、文化、習慣の違いによって起こりかねない摩擦も、相互理解によって未然に防がねばなりません。受け入れ国にとっても、緊急でありながら、抱えきれない難問に直面する事態となっています。これもまた、厳しい現実です。

 

2011年から続くシリア難民の問題も、ヨーロッパばかりでなく、国境を接する隣国に大きな負担を強いています。

国外に脱出することができず国内で避難民として家を追われる人も多くいますが、選択の余地もなく国境を越える難民も増え続けています。隣国のトルコ、ヨルダン、レバノンでは数百万の難民が暮らしています。人口400万人あまりのレバノンが受け入れている難民は100万人。トルコにいたっては、270万人にものぼり、今や世界最大の難民受け入れ国となっています。

 

母国に平和が取り戻されれば、難民は母国に帰り、自分の家で暮らしたいと考えるでしょう。しかし、帰国のめどが立たず、新たな生活の可能性を求めて第三国に向かうことも難しく、その多くが周辺国に留まっている現状です。

避難先での暮らしを余儀なくされる時間は、平均17年といわれています。難民キャンプで生まれ育ち、教育の機会も、仕事に就く機会も得られないまま、将来の見通しも持てない若者が自立の可能性を奪われています。

 

現在ばかりでなく、未来が奪われている状態では、希望を見出だすことは困難です。

 

難民を多数受け入れている隣国の地域もまた、決して豊かではありません。開発の行き届かない土地であることがほとんどです。難民にとって必要な教育や医療が、地域の住民からも求められているのです。

難民受け入れ地域に、道路や電気、水道のインフラを整え、学校や病院を、雇用を生む職場をつくる。さらには初等教育を受けた子どもたちに高等教育を目指す機会を与え、職業訓練を受けた人には仕事を与え、経済的な自立を支援する。時間の止まったような難民キャンプから、地域と難民の未来を同時にひらく支援への転換。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や各国政府、難民支援組織との連携を土台に、民間企業の参入や教育機関との連携も取り込んで、平均17年を過ごすことになる土地に、人間の尊厳と、教育と雇用の機会を得られる場と仕組みをつくり、地域経済の安定と発展をもたらす−そのような新たな支援の取組みが始まっています。

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