ウマイヤ朝

中東

ウマイヤ朝の第5代カリフのアブド=アルマリクは、広大な領土で流通する統一貨幣の鋳造に乗りだし、コインの表面に、コーランの文句を刻み、裏面には、自らの名前を刻んだ「ディーナール金貨」と「ディルハム銀貨」を発行した。これは、イスラム圏の貨幣経済発展の重要な要因となり、次のアッバース朝にも継承された。

ウマイヤ朝は、ダマスクスに中央官庁を置いて、広大な領土の統治にあたったが、そこで、課税などに用いる行政用語を、アラビア語に統一する必要があった。695年に、アラビア語を公用語として、一本化することを決め、イランのペルシャ語、シリアのギリシャ語、エジプトのコプト語などを、順次、アラビア語に統一した。

ウマイヤ朝は、ソグディアナに侵入し、ブハラ、サマルカンドを征服し、フェルガナ地方にも進軍した。これにより、イラン系やトルコ系の民族が活動する中央アジアのイスラム化が始まった。同時期に、ビザンツ勢力を北アフリカから駆逐し、チュニジアのカイラワーン(現在のチュニス)を拠点にベルベル人征服に乗り出した。

ダマスクスは、紀元前10世紀に、アラム人の交易都市として始まり、アッシリア、ペルシャ帝国、アレクサンダー大王、セレウコス朝、ローマ帝国、ササン朝ペルシャの支配を受けた。イスラム勢力支配後は、ウマイヤ朝の都となった。その後、マムルーク朝、オスマン帝国の支配などを経て、現在、シリアの首都となっている。

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