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 古代エジプト語の末裔がコプト語であるが、エジプトがイスラム帝国に征服された際に、アラビア語が公用語とされたために、コプト語は廃れてしまった。かろうじて、キリスト教コプト派の儀式詠唱で、コプト語が使われる程度である。現代のエジプトは、エジプト人の国ではなく、アラビア語を話すアラブ人の民族国家である。

古代ペルシャ語は、アケメネス朝、パルティア、ササン朝ペルシャで使われていたが、7世紀に、イランがイスラム化してからは、急速に、アラビア語の語彙をとりいれ、文字も、アラビア文字が用いられるようになった。

インドで成立したイスラム政権では、ペルシャ語が公用語とされ、宮廷では、ペルシャ語が話され、ペルシャ語の文学作品も多数生まれた。ムガール帝国の時代に、ペルシャ語と北インドの民衆の言語ヒンディー語が融合して、ウルドゥー語が生まれている。

イランは、アケメネス朝ペルシャ(紀元前5世紀)、ササン朝ペルシャ(紀元3世紀)時代には、世界帝国を築いた。その後、アラブ人、モンゴル人、トルコ人等の異民族による支配を受けつつも、ペルシャ人としてのアイデンティティーを保持した。イランは、イスラム化されたが、エジプトと異なり、アラブ化はされていない。

イランは、トルコ人のセルジューク朝、モンゴル人のイル=ハン国の支配下にあった時代に、アラビア語が公用語とされた。しかし、ペルシャ語が、文学、哲学、イスラム神学などの学術用語として用いられ、ペルシャ語を用いるイラン人が、学問、科学、芸術の担い手となった。

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