パシュトゥーン人

パキスタンとアフガニスタンの国境付近は、昔からパシュトゥーン人が暮らしている地域でした。両国の国境は、英国が英領インドを作るときに地図上に引いたもので、パシュトゥーン人は、国境が引かれた後も、そしてパキスタンとして独立した後も、自由に両国を行き来していました。

 

パシュトゥーン人は、アフガニスタンにおいては多数民族であり、パキスタンにおいては少数民族なのですが、パキスタンに住むパシュトゥーン人の方が人口としては多いため、国境を越えた「テロとの闘い」においては、パシュトゥーン人の協力が不可欠です。このため、日本をはじめとする国際社会は、この国境地域の安定が世界全体の平和と安定に極めて重要であると捉えています。

 

アフガニスタンでは現在、急速に治安情勢が不安定化しています。これに対し、日本をはじめとする国際社会は、治安改善や復興開発など様々な分野でアフガニスタンへの支援を強化しています。なぜアフガニスタンが「テロの温床」と言われるようになったのか、そして、なぜ国際社会がアフガニスタン支援に取り組んでいるのか、アフガニスタンの歴史、特に2001年から今までの動きをもとに考えます。

 

アフガニスタンは、1880年にイギリスの保護領となりますが、インドほど経済的価値が高くはなかったため、不凍港を求めて南下するロシアとインドを支配するイギリスとの緩衝地帯となりました。1919年にはイギリスからの独立を達成しますが、平和な時代はあまり長続きせず、73年に王制が崩壊して共和制に移行、78年には軍事クーデターで人民民主党政権が成立。翌年、ソ連の軍事介入をきっかけに、アフガニスタン情勢は不安定さを増していきます。

 

ソ連の侵攻に対抗する人々はイスラムの旗の下に結束し、各地でゲリラ戦を展開しました。1989年にはソ連軍を撤退に追い込みますが、国内は各ゲリラ勢力の主導権争いにより内戦状態に陥ってしまいます。そこに現れたのが、イスラムへの回帰を訴える「タリバーン」でした。タリバーンは、アフガニスタンとパキスタン国境付近に住むパシュトゥーン人を中心に台頭してきた勢力で、厳しいイスラムの戒律により、社会秩序を急速に回復させました。

 

生活の安定を取り戻した人々によって支持されたタリバーンは、1996年9月に首都カブールを制圧、1999年頃までには国土の9割を支配するようになりました。タリバーン支配によって社会秩序が回復する一方で、女性の就学を禁じたり、映画、テレビ、音楽などの娯楽を禁止したりするなど、極端なイスラム原理主義が人々の暮らしを抑圧するようになります。

 

一方、タリバーンは、国際テロ組織「アル・カーイダ」を受け入れ、アフガニスタンにおける活動の自由を許すようになりました。タリバーン政権の保護のもと、アル・カーイダはアフガニスタンを拠点に活動を活発化。2001年9月11日、米国ニューヨークの世界貿易センタービルなどで約3000人が犠牲となる同時多発テロを起こしました。

翌10月、米国などの連合軍はアフガニスタンに対し武力を行使し、タリバーン政権は崩壊。アフガニスタン各勢力の代表は、国連の呼びかけで和平プロセスに合意(ボン合意)し、カルザイ暫定政権議長(後の大統領)を中心とする新たな国造りがはじまりました。

 

アフガニスタンでは近年、治安情勢が著しく不安定化しています。首都カブールを追われたタリバーンや反政府勢力によるテロが激化し、特にパキスタンとの国境付近では深刻な状況となっています。2008年の民間人死者数は、米国同時多発テロ事件(9.11)が発生した2001年以降で最悪の2,118人(前年比約40%増)にのぼり、外国兵の死者数も2001年以降最悪です。

このように、アフガニスタンがテロの温床になってしまった歴史をふまえ、日本をはじめとする国際社会は、積極的にアフガニスタンを支援してきました。それはアフガニスタンの不安定化は、テロの拡散という一国あるいは中東・中央アジア地域だけの問題ではなく、世界全体の問題として考えなければならない問題を生むからです。

9.11以降もバリ島(2002年10月)、ロンドン(2005年7月)、インド・ムンバイ(2008年11月)など世界中でテロ事件は発生しており、私たちの生活を脅かしています。国際社会は、アル・カーイダ等の掃討を行う「不朽の自由作戦」(OEF)や、「国際治安支援部隊」(ISAF)などによる治安面での支援活動に加え、人道・復興支援を実施してきています。

 

日本も、人道復興支援とテロ治安対策を「車の両輪」として、アフガニスタンの安定に向けて積極的に取り組んできました。アフガニスタン復興支援国際会議(2002年〜)では、総額20億ドル(米英に続き世界第3位の規模)の支援を約束。うち15億ドル以上が人道支援、民主化支援、治安状況改善、人材育成、経済基盤整備などの分野ですでに実施されています。インド洋では引き続き、テロリストの海上移動を阻止する活動を行っている各国船艦に、補給支援活動を実施しています。

 

アフガニスタンでは、100人を超える日本人(日本大使館、国際協力機構(JICA)、NGOなど)が、農業開発などの各分野で支援活動を行っています。その中で、2008年8月には、NGOの伊藤和也氏が誘拐・殺害されるという許しがたい事件も起こりました。アフガニスタンの人々は、歴史的に従属関係のない日本に好感を抱いており、現地で懸命に活動している日本人の姿は好意的に受け止められています。

アフガニスタンでは、治安が不安定なために人道復興支援活動にも支障が生じている地域がたくさんあります。このため、各国軍隊と文民による地方復興チーム(PRT)が各地で支援活動を展開しています。日本は2007年から外国が主導する8つのPRTと連携し、NGOや地方行政機関への無償資金協力を実施してきました。

 

2009年春以降には、リトアニア政府の協力要請に応じる形で、チャグチャランPRT(ゴール県)に日本人の文民を初めて派遣し、復興のための地域のニーズをきめ細かく調査する活動などを行っていきます。日本はこれまでの国際協力において、開発のために現地が必要とする支援を的確に把握する能力を培っており、この力に期待が高まっています。

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