化学工業の誕生 電気テクノロジーの発達

工学

化学工業の誕生と、その直後に続いた電気テクノロジーの発達が、産業革命の性格と方向性を変えた。たしかに古い型の行き当たりばったり式の発明も続いていた。例えばアメリカ合衆国では、ヘンリー・フォードが自動車を、ライト兄弟が飛行機を、それぞれ長いあいださまざまな工夫を重ねたすえに作りあげるのに成功した。だがこの種の孤立した個人による発明は次第に組織的な研究にとってかわられるようになった。設備の整った研究室のなかで、技師や科学者らのスタッフが、一方では科学理論に、他方では技術上の工程に密着しながら、発明を行うことになったのである。

 

こうした理論と実践の連携が最初に一般的に行われるようになったのはドイツだった。大学や高等教育制度が著しく発達していたこの国では、高度な教育を受けた優秀な理論家が多数輩出していたうえ、古くからの職人の伝統をふまえて実用的な技術はお手のものだった。それがもたらした成果はしばしば驚異的なものだった。例えば第一次世界大戦がはじまるまでには、ドイツは多数の工業用化学製品の唯一の供給国となっていたし、電気産業の分野でもその技術的創意と実力とは世界をリードしていた。

アルバート・マイケルスンは、きわめて感度の高い装置をもちいて行った実験の結果、急速に動いている地球上から発射された光線が、あらゆる方向に均一の速度で進むことを発見したのである。この結果が最初に得られたのは1887年であったが、それは絶対的な空間と時間というニュートン的概念とはまったく相容れないように思われた。ふつうに考えれば、地球の動く方向に発射された光線は、反対方向に発射された光線よりも速い速度で動くはずであった。前者の場合には、地球の速度が光の絶対速度に加速されるし、後者の場合にはそこから差し引かれなくてはならないからである。

 

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