社会で女性の存在感が増すと同時に、相次いで誕生したのが婦人雑誌。生活実用、婦人問題、名家の紹介に加えて、流行風俗としてファッションも取り上げられていた。洋装は主に、職業婦人や女学生の制服として機能面から採用されていたが、大きな転機となったのは大正十二年の関東大震災。和服地の織屋の多くが焼失し、動きやすさ、また女性の社会進出とともに洋服が好まれるようになる。
平成の世を生きる人々が大正ロマンに魅了される理由。それは和洋が折衷するなかで、どこか懐かしい文化、風俗が生まれた「ベルエポック〜良き時代」だからだろう。そんな時代の象徴であり、今でも高い人気を誇るのが画家の竹久夢二である。束縛を嫌い、恋にも芸術にも自由を貫いた夢二は、個人を尊重する大正という時代を生きる、先駆的な存在だった。
大正期の女学生の間では、ハイカラさんでお馴染みの矢絣(やがすり)模様が大流行した。もとは矢羽模様で武士の胴服に使われていたが、江戸時代には大奥の女中が好み、江戸女性の憧れの模様に。矢はまっすぐ突き進んで縁起がいい。また放たれたら戻らない(離婚して家に帰らない)という意味も込め、女学生に好まれたとか。矢絣のお召しと海老茶色の袴の組み合わせは「海老茶式部」と呼ばれ、今も卒業式の定番スタイル。
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