コーヒー

中東

ロイズ・コーヒ-・ハウスは、1692年ごろから船舶情報を掲載した『ロイズ・ニュース』を発行して客に提供し、海上保険を取り扱うようになった。1720年に他の保険会社が禁止されると、競争相手のなくなった個人の保険業者はロイズを拠点に保険業務に精を出すようになり、特に海上保険の分野でますます繁栄した。

コーヒーの原産地はエチオピアであり、16世紀にはイエメンで栽培されるようになり、イスラム教のスーフィズム(神秘主義)の信者が眠気を払い祈りに専念するために用い始めた。1536年、イエメンがオスマン帝国領となってから、イスラム世界に広がり、イスタンブールで「コーヒーの家」が多数作られた。

ピューリタン革命の余波が残っている17世紀後半、コーヒー・ハウスはまず政論の場として大きな役割を果たした。政治を論じ、権力を批判するという言論の自由が最も大きな魅力となった。18世紀の詩人ポープは「コーヒーは政治家を賢明にする」といっている。

ブラジルでは、17世紀なかばまでは黒人の奴隷労働による砂糖農園が主要産業であったが、1690年代に金・ダイヤモンドが発見され、砂糖に代わる産業となった。1822年にポルトガルから独立したが支配権はポルトガル系白人が握り、金・ダイヤモンド資源が枯渇してからはコーヒーの単一栽培を行い、利益を上げた。

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