砂糖 紅茶 イギリス

経済

世界の砂糖生産の中心は17世紀にはカリブ海に移っていった。これはジャマイカをイギリス領にしたことが始まりである。ヨーロッパ人は、カリブ海にプランテーションをつくり、アフリカ人の奴隷を猛烈な勢いで導入した。この急激な変化を「砂糖革命」と呼び、この地域は砂糖きびしか作れない「モノカルチャー」となった。

 

「我々イギリス人は、世界の商業・金融上、きわめて有利な地位にいるために、地球の東の端からもち込まれた茶に、西の端のカリブ海からもたらされる砂糖を入れて飲むとしても(それぞれに船賃も保険料もかかるのだが)、なお、国産のビールより安上がりになっているのだ。」

 

「お茶に砂糖を入れる」という破天荒な思いつきは、このような幸福な立場に立ったイギリス人にしかできなかったことなのです。それは、イギリス独特の生活文化になりましたが、その陰には、無数のアフリカ人奴隷とアジアの貧しい農民たちの、涙と汗の労働があったことを忘れるわけにはいきません。

 

1965年にロイヤルミルクティを日本で初めて提供したのは、ティーハウス リプトンです。茶葉を直接牛乳で煮出す為、濃厚な味わいを楽しめる。英国のニュアンス漂うその名は、『和製英語』として日本中に広がりました。

イギリスでは、レモンティーは「ロシアンティー」と呼ばれています。これは、ヴィクトリア女王がロシアに嫁いだ孫娘(ニコライ2世の皇后アレクサンドラ)を訪問した際に出されたロシア式紅茶に由来しています。

1609年、オランダ東インド会社の最初の船が日本の平戸に来航、1610年、平戸からヨーロッパにはじめて茶を輸出した。これがヨーロッパへもたらされた最初の茶である。鎖国政策によりオランダは出島での貿易を許されたとはいえ、その後日本との茶貿易は衰え、それに代わって中国から茶の供給を受けることになる。

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