重商主義には、金銀の獲得を主とする重金主義という最初の形態から、輸出を増大させ輸入を抑えてその差額を得る貿易差額主義に移行し、さらに国内の産業の保護育成に力を入れる産業保護主義という形態の違いがある。
重商主義に対する批判は18世紀後半、フランスのケネーの重農主義や、イギリスのアダム=スミスによる自由放任主義の主張などとして現れ、19世紀の資本主義の全面展開の時期になると、重商主義的な保護貿易主義は自由な競争による経済の発展を阻害するとして否定されるようになり、自由貿易主義が主流となる。
経済、社会の変化の早さからすれば、世界情勢がこの程度の平和を保っているのは驚くべきである。廉価に良質のものが生産されて、国際貿易が世界の富を増大させているのは事実としても、いたるところで地球規模の市場経済が拡大して、既存の社会のパターンはねじ曲げられ、圧迫されている。
しかし、新しく能率性の高い生産者がそれまでよりも良い品を安い値段で供給しはじめる場合には、従来の生産者たちは既存の生計の道を失った。市場価格は、職を奪われた者たちにすぐに新しい職を与えることを保障できなかった。
したがって、その結果おこる経済の変貌の間で、ある者は栄え、ある者は苦しんだ。収入の不平等は増大し、多くの貧しい国々では、社会全般にわたって富と生活の向上が、とても人口の増加には追いつかなかった。経済成長と技術革新は重い犠牲を払って実現された。
なぜなら、長い目で見れば利益になることも、富んだ国、貧しい国を問わず、たいへんな数の人々に、短期間の間に大きな苦痛を加えずにはありえなかったからである。
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