オランダ東インド会社

交易

【世界初の武闘派株式会社 オランダ東インド会社】

①1602年3月20日にオランダで設立された、世界初の株式会社。

②商業活動だけでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられ、アジアでの交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。

③海外本店所在地および主商品集貨地はジャワ島バタヴィア(ジャカルタ)。

④支店を、香料諸島、セレベス島、スンダ列島、マラッカ、シャム、セイロン島、コロマンデル海岸、マラバル海岸に設置。

⑥香辛料の独占体制を固めるため、制限政策をとる。つまり、栽培の範囲を監視しやすい特定の島々に限るべく、それ以外はどこであろうと木を切り倒してしまった。

⑦香辛料植物の根絶に協力しない現地民の王に対しては、戦争という手段を用いた。

⑧会社の方が、相手の領主よりも弱い時には、青い葉を摘めば、3年後にはその植物が死滅してしまうことを十分熟知していたので、毎年青葉を買い取ることにした。

⑨日本ではカトリックとスペイン・ポルトガルのつながりに警戒感を強めていた江戸幕府を扇動してポルトガルの追い落としに成功、鎖国下の日本で欧州諸国として唯一、長崎出島での交易を認められた。

⑩1623年にモルッカ諸島のアンボイナ島にあるイギリス商館を襲い、商館員全員を殺害し、同島の権益を独占した(アンボイナ事件)。

 

クリストファー・コロンブスが発見した、アメリカの黄金が、イベリア半島側に取引き上、大きな利益をもたらして、ヴァスコ・ダ・ガマの見出したヒンドゥスタンの香辛料の代価として支払われることになったのであろうか。商人どもの金儲けに駆られた誘惑と、ブルジョワどもの美食という快楽のために、暴風雨の危険と、はやりすたりという気まぐれに脅かされながらも、遅々として進まぬ苦しみの多い危険に満ちた航海によって、1つの世界から他の世界へと、いくつもの海を越えて、お互いに行き来するのが、黄金色の金属と、芳香を放つ香辛料が共に持つ運命であったのだろうか。

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