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文明

西暦270年ごろ、人智の偉大な発明のひとつである十進法計算がインドに生まれていた。今日、われわれが「アラビア式」と呼び、だがアラビア人は正当にそれをインドのものとしている、この数の計算法は、アルファベット表記法と並んで、人類の創意を計る物差しともいうべきものなのである。十進法が発明されると計算は比較的容易で迅速なものになった。その結果、市場での営みも理論数学者の深遠な作業も著しく楽になった。それでもこの完全無欠な十進法の伝播の歩みは遅々たるものだったが、それはこれが長い間専門家の数学的玩具にとどまっていて、専門家自身は昔からの計算法も使い続けていたからである。十世紀になってようやくアラビア人に知られ、ラテン・キリスト世界に達したのはさらに二世紀の後であった。

 

アッバース朝のカリフのある者は、学問の積極的な保護者にさえなって、科学と哲学に関するギリシャ人やインド人の著作を組織的に翻訳させたりもした。こうしてたくさんのギリシャの知識と、いくらかのインドの学問(例えば十進法など)がアラビア語に移され、一握りの廷臣や専門家の好奇心を燃え立たせた。

十進法のおかげで数学計算が容易で正確になり、アラブの数学者たちはこれに刺激されて、算術のやり方や諸関係をアラビア語のいわゆるアルジェブラ(代数学)にまとめ上げた。これで数の数学的理解が、幾何学的なギリシャ人の思想から離れて、まったく新しい方向をとることになった。

 

宗教改革の時代には、ヨハネス・ケプラーやガリレオ・ガリレイ等が活躍して、数学が急速に進歩した。新しい記数法が、計算の範囲を広め、単純化するのに役立ち、新しい概念を導入した。特に幾何学と代数学は、アラブ時代からずっと別個に研究されていたのだが、これが融合しはじめて、その結果解析幾何学が生まれた。解析幾何学はまた、導関数ないしは微積分を生み、これが数学的推論の力の範囲と洗練度を深めて、物理学の研究にも立派に応用されることになった。

 

数学の流行はたいへんなものであったので、多くの人々が、数学の推論の技術を適切な厳密さをもって注意ぶかく利用すれば、あらゆる人間の条件に関する疑問が、真実の普遍的に承認可能な結論にまで導かれるであろう、と確信した。

ルネ・デカルトは、哲学分野で、幾何学の流儀に倣い、公理と自明の第一原理をもとにした演繹的推論を行おうとした。

アイザック・ニュートンは、物理学・天文学分野で、『自然哲学の数学的原理』を著述し、観察で得られた多様な結果を、数学的な秩序に還元しようとした。天や地上における動く物体の行動を説明するため、彼は神秘的な力を仮定した。それは万有引力である。彼の考えでは、この力が、馬鹿げたほど、そして嬉しくなるほど単純な数学方式−二物体間の距離の二乗に反比例するという−に従って働いていると仮定したのである。このニュートンの理論は実験的に試すことができた。ニュートンの運動の法則は、もともと月の運動を数学的に表現しようという研究から生まれたものであった。しかし、ニュートンの公式の正確さを試すために使うことのできる動く物体は、ほかにも無数にあった。そのような観測と測定を基礎に、彼の公式が成り立つということがまもなく明らかになった。現実が実際にニュートンの運動法則に合致したのである。

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