イギリスとポルトガルとの関係は意外に深い。ポルトガルは、1580年から1640年にかけてスペインに併合されていたが、独立戦争を経て、1640年にブラガンザ公ジョアンがジョアン4世として即位してブラガンザ朝を開いた。しかし、独立を契機にポルトガル王政復古戦争が始まり、ポルトガル一国では対処できない事態となり、ジョアン4世は当初、スペインと敵対関係にあったフランスとの同盟を1641年に締結して牽制しようとした。しかし、1659年、ピレネ一条約によって、フランスがスペインとの和平を実現させた結果、同盟関係は無力化し、ポルトガルの独立は危うくなった。ジョアン4世は、次にイングランドとの同盟を画策し、娘キャサリン・オブ・ブラガンザを、8歳年上のチヤールズ王太子(後のチヤールズ2世)に嫁がせようとした。実は、縁談はキャサリンが生まれた頃から画策されており、既に1640年12月1日に婚約が交わされていたが、その後、清教徒革命によってチヤールズ王太子はフランスへ亡命することになり、長らく棚上げとなっていた。1660年、イギリスで王政復古が果たされ、1662年に二人はポーツマスで結婚した。
この結婚によって北アフリカのタンジールとインドのボンベイが「持参金」としてイギリスにもたらされ、後年イギリスの海外進出の拠点として重要な位置を占めることとなった。
さらに、キャサリンは、貿易先進国として繁栄していたポルトガルの王女として、中国からもたらされる高価な茶(紅茶だけでなく緑茶も含む)を毎日飲むという習慣をイギリスに持ち込み、居所であったサマーセット・ハウスで訪問者に茶を毎日ふるまい大変な人気を博することになり、イギリスにおける喫茶の習慣が確立していく契機をつくった。
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