イラクでの 外務省職員殺害事件(後編)

国際

一行の大使館出発後、移動中の奥参事官から上村在イラク大臨時代理大使(以下、上村臨代)には、衛星携帯電話で連絡があり、その際、館務にかかる事務的打ち合わせが行われた。この際、一行の連絡時における所在地を確認するやりとりは行われなかった。

 

なお、奥参事官から大使館に対しては、必ずしも定時連絡が入ることになっていたわけではなく、出張先の業務の都合や、打ち合わせの必要がある毎に随時連絡が入ることとなっていた。携帯電話会社に残された電話の発信記録によれば、最後の発信は在バグダッド日本大使館にあてて29日午後0時8分に行われた。

 

なお、イラクの通信事情は劣悪な状況にあった。すなわち、事件発生当時、地上電話回線は機能しておらず、基本的には一般携帯電話はバグダッド市外では使用できなかった。現地駐在外交団や報道関係者が使用する衛星携帯電話についても、衛星にアンテナの向きを合わせておくなど、技術的に一定の条件を満たさないと通話が可能とならない。

 

一行が大使館との連絡のために利用していた衛星携帯電話についても同様であり、一行の使用していた館用車には携帯電話用車載アンテナが搭載されていたが、受信状況が常時良いとは言えないことから、大使館では通常は外出した館員からの連絡を待ち受ける形となることが多かった。

 

また、事件に遭遇した館用車には無線機が搭載されていたが、通信距離は約10km程度であり、専らバグダッド市内での連絡に用いられるものであった。また、この無線機には通信を記録する機能はない。

 

奥参事官所有のデジタルカメラには午前11時過ぎの時点でのバグダッド郊外の風景の写真、及び午後0時16分〜21分の時点での、レストラン、果物店に立ち寄った際の写真が残されていた。

 

レストラン・果物店の場所について調査せしめたところ、当該場所はバラド中心部に位置していることが判明している。この場所は事件発生現場まで約65kmの距離にある。ただし、当該場所を出発した時間を特定出来ていない。

 

外務省が入手した事件現場付近での複数の目撃者と称する地元イラク人の話によれば、奥参事官、井ノ上書記官の車輌が国道一号線のティクリートの南約30㎞、サマーッラーの北約15㎞の地点付近を走行中に銃撃を受け、進行方向右方向に道路をはずれ、畑の中に突っ込む形で停車した。

 

現地のディジュラ警察によれば、午後1時30分頃に濃い色のBMWに乗った通りがかりの男性(氏名不詳)が、ディジュラ警察署(事件現場から北方4kmに位置する。)に立ち寄り、「バグダッド方面数キロ先のところで車が襲われる事件があった。」との一報があった。

 

ディジュラ警察によれば、この通報を受け、同警察署の警察官複数が現場に出動した。その際、警察官の招集などに暫く時間がかかったとしているが、現場到着については、正確な時間は特定されていない。

 

ディジュラ警察によると、運転席のアラブ人、助手席から外に出たところで倒れていた小柄な「日本人」(井ノ上書記官と考えられる)は既に絶命していたが、後部座席で仰向けに倒れていた大柄な「日本人」(奥参事官と考えられる。)は意識は無かったが、微かな息はあったとされる。

 

ディジュラ警察によれば、3名の被害者を、現地警官らが乗ってきた警察の旧式のピックアップに乗せ、現地警官が運転し、ティクリート総合病院に搬送したが、同警察によれば、被害者3名のティクリート総合病院への搬送のため現場を出発したのは、事件発生後1時間以上の時間がたっていたと思われるとされている。

 

事件現場から、ティクリー ト総合病院までは、ティクリー ト市を跨いで南から北に縦断して約35kmある。被害者を搬送したとされる旧式ピックアップでは、30分から1時間程度を要したと考えられるが、被害者3名が病院に搬送された時間は正確には特定されていない。

 

ティクリート総合病院の医師によれば、被害者が病院へ搬送された正確な時刻についての記録は無く、正確に記憶していないとしつつ、「勤務時間(午後1時まで)が終わってから夕方までの時間」に被害者が病院に搬送されてきたが、既に「アラブ人」(ジョルジース運転手と考えられる。)と「小柄な日本人」(井ノ上書記官と考えられる。)は死亡していた、とのことであった。

 

「大柄な日本人」(奥参事官と考えられる。)は、頭部等へのかなりの銃創、その他の傷があるにもかかわらず、微かに息があり、すぐに緊急処置室に収容されたものの、まもなく死亡したとされる。また、同医師によれば、本件3名についても、カルテその他の記録は作成されていないとされる。

なお、通常、処置により延命した場合には記録をつけ、カルテを作るが、収容後すぐに息を引き取った場合にはカルテも記録も残さないとの説明がなされている。

他方、ジョルジース運転手については、翌30日遺体を引き取りに来た同職員の家族が拒否したことから司法解剖は行われなかったが、家族の者がティクリート総合病院の医師に要請し、同医師が発行した死亡証明書によれば死因は銃創によるものとされている。

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