スーダンは国内に多くの課題を抱えています。ひとつは「アフリカ最長の内戦」と呼ばれた「南北スーダンの内戦」,もう一つは「世界最大の人道危機」と呼ばれた「ダルフール紛争」です。どちらも対立の根は深く,これらの紛争によって,これまでにとてもたくさんの犠牲者が出ました。
スーダンは地理的に中東とサブサハラ・アフリカを結ぶ地域に位置している上,9か国と国境を接していることから,南北スーダンやダルフールの情勢不安定化が周辺地域に与える影響は少なくありません。このため,スーダン情勢は国際社会の主要な関心事の1つとなっており,国連・国際機関やNGOなどを含めて大規模な人道・復興支援活動が続いています。南北スーダンの内戦とダルフール紛争がどのようなものだったのか,それぞれ整理してみます。
1899年から英国とエジプトの共同統治下に置かれていたスーダンでは,北部と南部を分断する植民地政策(南北間の交流禁止)がとられていた経緯などから,南北の住民は1つの国として統治されることに大きな違和感を感じていました。このため,1956年にスーダンが国家として独立を果たす一歩手前の段階で,北部(政府)と分離・独立を求める南部の間で内戦が勃発しました。
1972年に南部に自治権を認める「アジスアベバ合意」によって一度は停戦に至ったものの,10年余りのうちに内戦は再燃し,最終的には2005年の南北包括和平合意(CPA)の締結まで,「アフリカ最長の内戦」を経験することになりました。南北内戦による死者は約200万人,難民・避難民は約400万人とも言われ,内戦の激しさを物語っています。
スーダン西部のダルフールでは,アラブ系遊牧民族とアフリカ系農耕民族(ともにイスラム教徒)の間で昔からあった水や牧草地などを巡る抗争を背景に,2003年に政府・アラブ系民兵と,反政府勢力の本格的な武力衝突が勃発しました。2006年にダルフール和平合意(DPA)が成立したものの争いは収まらず,死者約30万人,難民・避難民約200万人という人道危機へと発展しました。
改善しない治安情勢に国際社会の懸念は高まり,国連安全保障理事会はダルフール地域における武器禁輸措置などを決議したほか,2009年には国際刑事裁判所(ICC)が,人道に対する犯罪及び戦争犯罪の容疑で,バシール大統領に対する逮捕状を発付しました。
これに対して,スーダン政府は,ダルフールで人道支援活動を行っていた国際NGO(13団体)を国外に追放したことから,更なる国際社会との緊張が高まりましたが,2010年2月にはドーハでスーダン政府と反政府勢力の一部が停戦合意に調印するなどしており,和平実現に向けた努力が続けられています。
南スーダン 海外安全情報(首都ジュバ市):「レベル4:退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)」
ア 2013年12月15日夜から16日未明にかけて,首都ジュバ市内の複数地点で,断続的にマシャール前副大統領を支持する勢力によるとされる銃撃・爆発事案が発生し,戦車を含む治安部隊が展開するなど,それ以降,ジュバ市の情勢は不安定な状況となっています。
イ 2014年3月には,ジュバ市内南部のジュバ大学南方にある国軍兵舎で,給料支払い問題が起因とされる突発的な銃撃事案が発生しました。
ウ その他,2015年に入り,上ナイル州を中心に南スーダン北部で継続しているSPLAと反政府勢力の衝突が頻度を増し,政府歳入の大部分を占める石油収入が途絶えるのではないかとの虞から,現地通貨である南スーダンポンド(SSP)が急落しました。通貨急落に伴って物価は急騰し,生活必需品等の調達コスト増大や買い占め行為等が発生し,経済状況は急激に悪化しました。経済状況の悪化を受けて,武装強盗や車両強奪・襲撃事案等の一般犯罪が急増しています。
特に,比較的裕福であると見なされている国際機関やNGO職員等が一般犯罪の標的となっています。その中でもNGOは,外交団や国際機関よりも比較的警備体制が緩いことから,頻繁に被害に遭っています。2015年2月には,英国籍のNGO職員宿舎に武装した賊が押し込み,職員を殺害するという凶悪事件も発生しており,当地に在留する上で大きな脅威となっています。
エ また,2016年7月7日には,ジュバ市内の複数箇所において政府軍(SPLA)等と元反政府軍(SPLA-IO)との間で発砲の応酬により多数の死傷者が発生し,これ以降も銃撃戦が発生しています。
オ つきましては,ジュバ市へ危険情報を「レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)から「レベル4:退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)に引き上げます。ジュバ市への渡航・滞在は,どのような目的であれ止めてください。
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