国連カンボジア暫定機構 UNTAC (我が国による初のPKO派遣)

国際

パリ和平協定を受けて、明石康国連事務総長特別代表が統括する国連カンボジア暫定機構(UNTAC)による暫定統治が開始された。日本では、1992年6月に「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」が成立し、同年9月以降、日本から自衛隊施設大隊、停戦監視要員、文民警察官及び選挙要員等延べ人数1300人余りがUNTACの活動に参加し、人的貢献を行った。(我が国による初のPKO派遣)

 

こうした中、1993年4月、国連ボランティアの中田厚仁氏が何者かに銃撃され死亡し、更に5月には文民警察官等の一行が何者かに襲撃され、高田晴行警視正が死亡、その他4名の文民警察官が重軽傷を負う等尊い犠牲を払ったが、総選挙の成功に貢献した。

(9月24日、新憲法に基づきシハヌーク殿下が国王に再即位し、「カンボジア王国」は再出発した。)

コメント

タイトルとURLをコピーしました