アメリカの独立

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国は、世界史上、初めて最初から国王や貴族のいない、共和政の連邦国家として成立、イギリス植民地支配からの解放を実現しただけでなく、市民=ブルジョワジーが権力を掌握した国家として誕生したので、単なる独立戦争としてではなく、アメリカ独立革命として捉えなければならない。

それは、次にヨーロッパで起こるフランス革命に続く、ブルジョワ革命の一環であった。また、大西洋をはさんでイギリスでは産業革命が進行しており、同時に、アメリカの独立はラテンアメリカの独立にも大きな影響を与えたたので、これら一連の動きを大西洋革命と捉えることもできる。

 

初代アメリカ大統領となったワシントンは57歳、副大統領にはマサチュセッツのジョン・アダムス。国務長官にジェファソン、陸軍長官にノックス(39歳)、財務長官にハミルトン(32歳)、郵政長官にサムエル・オズグッド、司法長官にランドルフ(36歳)と、閣僚の半数近くが30代だった。

行政省庁の官僚機構は、本省が最大の財務省でも39人の本省職員と1000人前後の徴税人と税関職員、陸軍省も5人の職員と約3000人の軍隊、国務省に至っては4人の職員と一人の通訳がいるにすぎなかった。連邦政府が中央政府としてきわめて規模の小さい「アメリカ型国家」であったことが明らかであろう。

 

外交ではヨーロッパのナポレオン戦争では中立的な立場をとったが、1803年にはナポレオンとのルイジアナ買収の協議では現実路線を取り、1500万ドルという格安価格で買収を実行して領土を約2倍に広げた。

 

さらにルイスとクラークをアメリカ大陸北西部探検に派遣し、国土の太平洋岸到達を準備した。連邦政府の権力強化には否定的であったジェファソンであったが、領土拡張では積極策を採ったことは後のアメリカ合衆国の性格を考える上で興味深い。

アメリカ合衆国初代大統領ワシントンは離任に際しての告別演説で「世界のいずれの国家とも永久的同盟を結ばずにいくことこそ、われわれの真の国策である」と述べている。これはアメリカ外交における孤立主義の源泉とされているが、正確に言えば非同盟主義である。

近代世界最初の共和制国家として独立したアメリカ合衆国が、新興の弱小国として「旧世界」ヨーロッパ君主国の権謀術数に巻き込まれないようにする叡知であり、外交よりも内政を重視する姿勢であった。

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