近世の疫病

医療・公衆衛生

近世の都市では、糞尿の匂いが漂い、雨が降ると路上は糞尿まみれになり、不潔な人々と相まってしばしば伝染病が流行った。

窓から糞尿やゴミを下の溝に投げ捨てるのは中世からの伝統ではあるが、中世では都市の人口はずっと少なく、路上には豚が放し飼いになってそれらを食べておりエコシステムができていたのだ。

それが中世末期から、荘園制の崩壊と産業の発展により、農奴が都市に出て労働者となり、人口が急増したわけだが、都市は壁で囲われているため面積を広げることができず、同じ面積に数倍の人間がひしめくことになった。当然、それまでのシステムは働かなくなり、溝は数倍の糞尿でつまり、雨が降ると溢れ出して道中に広がるわけだ。

その姿の見えない悪魔は、ある日、ジェノヴァ船に乗ってヨーロッパに到着した。人々は苦しみ絶望し、何の手も打てない教会に不信感を抱いた。

歴史に残る1348年〜50年の黒死病の大流行は黒海沿岸のジェノヴァ植民地カッファがモンゴル軍(キプチャク汗国)の包囲を受けていた時に感染したもので、カッファを出航した12隻の船がシチリアに着き、さらにジェノヴァ、ベネチア、ピサに到達し、そこから北西にフランス、スペイン、イギリスに広まり、さらにドイツ、北欧、そして最終的には1351年にはロシアにまで到達した。

疫病の流行は、その後も不定期的に発生したが、疫病が流行した際に自治体などに雇われて疫病を専門に看る疫病医者という職業が生まれた。

当初は普通の医者も担当したが、すぐに死亡して人手不足になるため、一般から募集され誰でも成れたようで、治療するよりも病気を広める役を果たしたとも言われる。病人に接するため、罹患して死亡する率が高い危険な職であり高報酬だった。よく絵で見られる全身コートと鍔広帽子に嘴型の仮面は17世紀頃から使用されたもので、嘴部にラベンダーなどの薬草を詰めて、少しでも空気感染を防ごうとしたようだ。また、杖は直接、患者に触らないようにするためで、原理は分からなくとも接触が危険なことは経験から分かっていたようだ。

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