光の本性

科学

「光」とは、目を刺激して視覚を発生させる可視光線を意味していたが、今日では、可視光線のみに限定せず、赤外線から紫外線までの電磁波を総称して光というのが普通である。

光は生物の生存に欠かせない太陽や、燃える火から送り出されている。昔は、遠い星の位置を見て、季節を知り、農耕を始め、広野を旅した。

『旧約聖書』の「創世記」に「神は光あれと言われた」と光についての記述があるのも、人間の生活と光との深い関わりを反映したものといえよう。

古代の思想家がこの世の成り立ちに思い巡らしたとき、光の本性、視覚の原因などを重要問題として解き明かそうとしたのは自然なことであった。

例えば、幾何学で有名なユークリッドらの著作の中で、光の直進、視覚、平面鏡での光の反射などが考察され、また容器に水を入れると、底に置かれて見えなかった物体が外から見えてくると、公理の一つにあげている。

 

光の現象についての学問「光学」の本格的研究は、ドイツの天文学者ケプラーやイタリアのガリレイが望遠鏡を作った17世紀初めから始まった。

光の本性をめぐり、古くから様々な考えが出されており、それらは波動説と粒子説に大別される。

波動説とは、光はある媒質中を伝わる波であるとする考えであり、古代ギリシャのアリストテレスがすでに述べている。

粒子説とは、物体から光の粒子が放出され、真空や一様な透明物体の中を直進するという考えで、イギリスのニュートンがその代表とみられている。

17世紀に活躍したフランスのデカルトの『方法序説』は、3つの試論(屈折光学、気象学、幾何学)を含んでおり、その中で、光の本性を論じ、屈折の法則や光学器械としての目を考察し、大気中にある水滴による光の屈折現象として虹を説明した。

ガリレイは『新科学対話』の中で、地表で2点間に光が往復する時間を測って光速を決めることを提案しているが、人間の感覚に頼っている限り不可能であった。しかし、天体規模なら、光速が有限である影響が観測されてよい。

17世紀後半、デンマークの天文学者レーマーは木星の衛星による食を観測し、地球が軌道上で木星に近いときと遠いときとで食のおこる時刻がずれることを確かめ、ほぼ正しい光速の値を得た。

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