掛取り商人

生活

長年掛取りに経験を積んだ人が、こんな事をいった。
おおむね掛金は取りやすい所から集めて、片づけにくい相手とわかっている家へは、最後にねじこんで行くがよい。
下手なことをいって言葉尻をとられぬように気をつけ、先方から腹を立てさせるように仕向けてくる時は、いよいよ物静かに理屈っぽく応対し、ほかの事はいっさい話さないようにする。
居間の上がり口にゆったりと腰掛けて、銀袋持ちの丁稚に提灯を消させ、
「どういうめぐり合わせで、掛取りの商人なんかに生まれてきたのでしょう」

「月代を剃って正月をしたこともなく、女房は金主の人質にとられて、そこの手代どもの機嫌をとらせている始末です」
「ほかに暮し方もあろうのにと、科もない氏神様を恨んでいます」
「御内情は存じませぬが、こちらの御内儀さんは仏様のような結構な御身分です」
「天井に挿した餅花を拝見すると、もう春が来たような心地がします」
「台所には土地でとれた鴨、それに煎海鼠や串貝、どこのお宅へ参りましても、まず肴掛けが目につくものです」 …

「季節々々にできたら新調して着たいと思う女房に、衣装をこしらえてやりたいものです」
「お松どん、お仕着せはさだめし柳煤竹の地色に乱れ桐の中形模様であろう」
「同じ奉公をするなら、こんなお家に居合わすのが、その身の仕合せというものだよ」
「場末ではいまだに古くさい天人唐草のお仕着せを着ているというのに……」
などと、女房に物をいわせるように仕向けて、手間隙をかけていると、亭主がほかの借金取りのいない間を見合わせて、 …

「これは来春女房が伊勢参宮をするための旅費だが、これだけはさし上げよう。残りは三月の節句前にみんなすまして帳面を消させてもらい、笑い顔を見るようにしますよ」
といって、百目の借銀のうち六十目は渡すものだ。

商人達は面と向かっても化かし合うのだ。
目に見えない場所では恐ろしいほどに化かし合う。

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