「明治維新」という薩長のクーデターの抱えるそもそもの不幸は、大英帝国の軍事支援を受けながら、討幕という政争に勝利するためには、「攘夷、復古」という単調で分かり易いキャッチフレーズを大音量で喚かないと、大衆参加のムーブメントを創ることができなかったという点にある。
留学経験のある幕臣・田辺太一が「攘夷を唱える狂夫」という表現をしたが、復古だ、攘夷だと喚いていたテロリストたち本人ですら、少し冷静で頭の回る者はそれが単に名分に過ぎないことをある程度自覚していたはずである。目的は討幕であって、復古、攘夷はその目的を達成するための思想の装いをした方便にすぎなかった。
幕府から政権を奪って間もない明治2(1869)年、新政府は二官六省を設置した。二官とは、神祗官、太政官、六省とは、民部、大蔵、兵部、刑部、宮内、外務の六省をいう。まるで律令時代へ遡ったようではないか。そして、この名称のほとんどは、昭和まで使われ、財務省、宮内庁、外務省は今もなお生き残っている。
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