「高輪接遇所」では明治2年に「高輪談判」と呼ばれる会談が行われています。三条実美ら明治政府首脳とイギリス・フランス・アメリカ・イタリア・ドイツの5ヶ国の駐日公使による会談です。当時、各藩が戊辰戦争の軍費調達等のため贋貨を鋳造し、大量に流通させたため経済に影響を及ぼしていました。
日本は会談で贋貨の回収と近代貨幣制度の導入を国際公約するとともに、外国人の抱えた贋貨の正貨への等価交換を保証しています。この会議が新貨幣発行や造幣局の設置のきっかけとなったと言われています。
なお、各国との事前交渉や通貨改革への取り組みは大隈重信の主導で行われています。「高輪談判」が行われる前、大隈は各国との交渉を行う一方、貨幣改革案をとりまとめますが、大久保利通が反対します。討幕後も薩摩藩や土佐藩が贋貨鋳造に関わっていたため新政府の信用が失墜するのを恐れての事です。
大隈は追い詰められますが、病に倒れていた木戸孝允の説得により大久保は事の重大さを認識し改革案を了承します。薩摩藩は自らが建白書を提出し薩摩藩での贋貨鋳造の事実を明らかにしたことで処分を免れます。贋貨鋳造をせずに軍資金調達した長州藩は怒りますが、維新の大義のためと責任追及はうやむやになりました。
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