金持ちの資質

日本

 

金持になるほどの者は、その生まれつきが並々でない。

 

ある人が息子を9歳から12歳の年の暮れまで手習いに通わせておいたところが、その間に使えなくなった自分の筆の軸はもちろん、手習い仲間の捨てた軸も拾い集め、まもなく13歳の春、自分で細工して軸簾を3つこしらえた。

それを1つ一匁五分ずつで売って、はじめて自分の働きで銀四匁五分もうけたので、親仁はわが子ながらただ者ではないと思い、うれしさの余り手習いの師匠にこの事を話した。

 

すると師匠はそれをよい事だとはほめられなかった。

「私はこの年まで数百人の子どもを預かって教えてきたが、あなたの息子のように気の回りすぎる子どもで、行く先金持になって世を暮らした例がない。かといって乞食をするほどの身の上にもならず、まあ中より以下の世渡りをするものです。こういう事にはいろいろと理由があります。あなたの子どもだけが賢いように思いなさるな。それよりももっと利口に立ち回る子どもがいます。自分の掃除当番の日はもちろん、ほかの子どもの当番の日も箒で座敷をはいて、大勢の子どもが毎日使い捨てる反古の丸めたのを、一枚一枚ていねいに皺をのばして、毎日屏風屋へ売って帰る子がいます。これは筆の軸を暖簾にする思いつきよりは、当座の用に立つことですが、これもおもわしくありません。

 

またある子どもは紙を余分に持ってきて、紙を使いすぎて困っている子どもに、一日十割の利息でそれを貸している子がいます。これは一年に見積もるとたいへんなもうけになります。こんなのは皆、抜け目のない親のやり方を見習ってするのであって、自然に出てくるめいめいの知恵ではありません。

 

その中で一人の子は、両親が毎日教訓して、『ほかの事は考えずに手習いに精を出せ、大人になってからその身のためになる』といわれた言葉を反故にしてはならないと思い、毎日読み書きの稽古に油断せず、後には兄弟子たちを追い抜いて上手な書き手になりました。こういう心がけですから、行末金持になるのは目に見えています。というのは一筋に家業に打ちこむからです。だいたい親の代から続けてきた家業のほかに、商売を替えてうまくいった例はめったにありません。手習いの子どもたちも自分の目的の習字はほっといて、小さい時から抜け目がないのは、まったくよけいな欲というものです。そのためにかんじんの手習いを怠るのは馬鹿げたことです。

 

あなたのお子さんだが、そんな心がけでは先が思いやられます。子どもというものは花をむしったり、凧をあげたりしていて、十歳前後の知恵のつくころに将来の方針を立てさせるのがまともなやり方です。七十歳になる私のいった事がまちがっているかどうか、まあ行末をごらんなさい」といわれた。

 

そのとおり、お師匠の言葉に違わず、話題にのぼった子どもたちは、一人前になってから、いろいろ商売を替えて稼ぐほどにおちぶれてしまった。

軸簾を作った子は、冬日和の霜どけ道のために、草履の裏に板切れをつけてはく事を工夫したけれども、これも長くは流行らなかった。

また手習いの反古を集めて稼いだ子は、素焼きの皿が油をすわないように、松脂と桐油をねり合わせた瀝青を塗った油皿を工夫して売り出したけれども、大晦日にも燈火一つしかとぼせない身代である。

 

ところが手習いだけに精を出した子は、ぼんやりしているように見えたが、生まれつき度胸が大きく、江戸へ回漕する菜種油が寒中でも凍らないようにすることを工夫し、油樽の中に胡椒を一粒ずつ入れることを思いつき、それでたいへんもうけて気楽な老年を迎えている。

 

同じ思いつきでも、油皿と油樽とではたいへんなちがいで、人間の知恵ほど格差のあるものはない。

 

(井原西鶴『世間胸算用』から)

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