ソ連アフガニスタン進攻

軍事

1979年、ソ連アフガニスタン進攻。米国カーター大統領はこれに対抗すべく、隣国のパキスタンに2年間で4億ドルの経済援助を申し出るが、自国の地政学的価値が高まっていることを理解していたパキスタンはこの条件を拒否した。

1981年、米国レーガン政権はパキスタンに5年間で32億ドルの経済援助を申し出て、これに合意。さらに1988~93年の6年間で40億2000万ドルの追加支援を約束した。加えて、F16戦闘爆撃機40機をNATOよりも先にパキスタンに対して供与した。

ソ連・アフガニスタン・インドの枢軸に対して、米国・パキスタン・中国の枢軸で対抗したのである。

「国益」なるものは割り切ったもので、時には他国にとっては冷酷でさえある。1989年のソ連のアフガニスタン撤退でパキスタンの地政学的価値は急落。1988年からの追加支援は1990年10月から停止された。パキスタンの核開発を表向きの理由として。

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