フランスから広がった政治革命は、旧体制のもとでの複雑な集団的特権層を破壊し、おびただしい数の個々の市民のエネルギーを解き放った。政府と国民は、それまでになく緊密に協力するようになった。国民の意志を導きつつ、同時にその意志に従って行動することによって、政府はすこぶる強大になった。その国民の意志が表明される手段としては選挙があり、暴動、デモがあり、もしくはジャーナリズムがあったが、当面の政治的指導者に黙って従うことも、同様に意志の表現であった。何百万人もの国民が戦争のために動員された−程度の差はあるにせよ、自発的に。経済と政治の面で、革新の領域は大きくひろがった。それまでの個人の発意をはばんできた法律上の障害は減少した。
フランスで激しい政治革命がおこったとき、すでにイギリスの経済は、機械力をマニュファクチャ−に応用することによって変革をはじめていた。創意工夫にすぐれた機械工と熱心な企業家が開発した新しい技術資源のうち、最もめざましい初期の例は、蒸気機関を動力として綿花を紡ぎ、布に織るための紡糸・織布用の機械であった。この「産業革命」もまた、民主革命同様、やはりたどたどしい足どりながら他のヨーロッパ諸国に−のちにはヨーロッパ以外の国々にまで−広まっていったのである。それは不可抗力ともいえる歩みであった。1870年ごろから、科学理論と系統的に結びついた最新の発明が行われるようになって、産業革命はいっそう新しい広がりをみせはじめた。こうした環境のもとで、西欧の工業諸国が−経済面でも軍事面でも−手中におさめた富と力は、急激に増大していった。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期、このふたつの基本的変化の波は平行して進んだ。つまり民主的形態に支えられてその権力を拡大させた政府が、政治的目的のために工業生産の技術工程を組織し直したのである。最初は戦争に勝つことが目的だったが、1945年以降はさらに複雑ないくつかの目標がたがいに優先権をめぐって競いあった。経済、社会、政治にまたがる政策目標として、消費水準の引き上げ、軍備、価格安定、資本投資など、さらにごく最近になって自然環境保護といったものが、たがいに対抗しあった。
このように西欧諸国が著しく大きな力を手に入れるようになったことで、従来欧米の人々の活動を阻んできた他の民族による障害は簡単にうちくだかれた。輸送と通信の改善にともない、地球上の距離は短縮した。十九世紀後半、地球上で人間の住めるすべての重要地域は、全地球を包み込む単一の商業網に取りこまれた。経済的交流の絆だけでなく、知的、文化的、さらには政治的および軍事的交流が必然的に生まれることとなった。
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