日本足軽 足軽とは、中世において出現した軽装歩兵の呼称で、戦国時代以後組織化され、近世になって武士の最下層に位置づけられた身分。中世では、「疾足」ともよばれた。『平家物語』『太平記』などには、敵方を攪乱するための兵として描かれている。南北朝内乱期...2018.01.19日本
経済1500年代の銭貨 1570年代になると、銭貨には北宋銭と、京都では忌避の対象であった明銭で構成される精銭の「古銭」・模鋳銭などで構成される悪銭の「次銭」によるシンプルな階層化が形成していた。同時期には、金に貨幣機能が備わるようになり、中世後期北陸の通貨事...2018.01.18経済
経済鎌倉末期の銭貨経済 東北地方における銭貨経済の本格的な形成は、他地域と同様に鎌倉末期頃であった。この頃から東北地方では、全ての流通銭を1枚1文として同価値通用の原則を維持し、他地域では真っ先に悪銭とみなされていた無文銭・模鋳銭を流通銭の一種として機能させて...2018.01.18経済日本
経済土倉 12世紀以降、年貢収取実務に携わることを通じて財貨を蓄え、それをもとに高利貸を行う者が現われ、やがて専門の高利貸業者として「借上」と呼ばれるようになった。承久の乱後、彼らは主家の下での経験を生かし、新たに遠隔地の所領を大量に獲得した地頭...2018.01.17経済日本
生活正長の徳政一揆 日本で初めて発生した大規模な一揆は、1428年の正長の徳政一揆(土一揆)だった。この年、天候不順のため作物は不作で、奇妙な疫病が流行し、人々は貧苦にあえいでいた。当時、貨幣経済が農村まで浸透し、多くの農民が土地を担保に高利貸(酒屋・土倉...2018.01.17生活日本
経済撰銭令 撰銭令とは、通貨の価値を決めてしまうことである。なぜこのようなことが必要であったのかというと、戦国時代の日本には、中央政府の発行する銭貨はなかったのである。中央政府が統一銭貨を発行するのは、徳川幕府三代将軍家光のときの寛永通宝である。 ...2018.01.16経済政治日本
生活一揆の大波 1441年に将軍足利義教が播磨国守護赤松満祐により暗殺されたことによる代替わりと政局不安の間隙をぬって、京畿の土民数万が徳政を要求して蜂起した。火付け役は正長の土一揆と同じく近江の一揆であった。ただ正長の土一揆と違うのは、一揆が諸国に広...2018.01.16生活日本
経済宋銭の流通 鎌倉時代、日本は深刻なデフレ経済下にあった。宋銭は民間貿易を通して平安時代末期の11世紀頃から日本に持ち込まれ、平忠盛以来、平氏一門が日宋貿易を積極的に保護したことで大量に流入した。しかしながら平家一門が滅亡し、宋銭流通に否定的な鎌倉幕...2018.01.15経済日本
経済貨幣経済からの離脱 皇朝銭の鋳造停止以後、国が貨幣を発行しない時代が長く続いたが、10世紀末の平安京への遷都から約200年間は、通貨として「米」や「絹」などの「物品貨幣」が利用された。この貨幣経済からの離脱は、日本の国家運営能力を地に貶めた。 春秋戦...2018.01.15経済日本
経済メディチ家は銀行ではなく両替商 キリスト教の教義では利子をとって金を貸すことは禁じられていた。ルネサンス以降も利子禁止は教会法に明記され続けていく。だが、商品経済の発達は金融業を生み出しつつあった。彼らは利子禁止を逃れるために様々な言い逃れや、手法を編み出す必要に迫ら...2018.01.14経済