貨幣の社会的機能

経済

紀元前2000年頃、メソポタミア文明の担い手シュメール人が、「貨幣」という機能を人類として初めて創造したとされている。その本質は、彼らが、次の二つの社会的機能を考案した点にある。

(1)シュメール人は、インドからアフリカまで非常に広い範囲の人々と交易をおこなっていた。遠隔地と交易を行う場合、財を送り出す所有者と、財を運ぶ運搬者、財を受け取る人は、全て別々の人間である。財の運搬を行う際、仕向け先へ財を届けることを保証する目的で、運搬者が、財と同じ価値を持つ対価物として、銀地金を手渡すという制度が考え出された。

(2)シュメール人の都市国家は各々の神を祀り、共同体としての灌漑設備などインフラを利用しながら個々人が農耕を行い、生産された穀物は、神殿の倉庫に保管し、共同体として管理した。その際、個々の生産者は、預けた穀物と同じ価値のものを引き出せることを保証する対価物として、銀地金を受け取るという制度が考え出された。

貨幣として「実質価値」を持たない紙幣が、「額面価値」として流通する理由は、国家の法律によって、誰もがそれを受け入れなければならないという強制通用力が担保されているためである。国家権力の安定性・継続性を根拠として成立している貨幣のことを「信用貨幣」と呼ぶ。ギリシア・ローマ時代においても、共同体の外との決済には金貨・銀貨が使用されたが、共同体内における小額の決済には「信用貨幣」が利用された。世界で最初の紙幣は、中国の宋の時代に発行された、鉄との交換を保証した「交子」であるとされる。もともと、一定の価値を持つ金属等を手元に貯蔵しているものが、手持ちの金属との交換を保証した上で「信用証書」を発行し、これが民間での取引決済において使われていた。宋の「交子」は、こうした民間の制度を真似て、国が発行した政府紙幣であり、その他、指定された銀行が発行する銀行券を含め、国家によって強制通用力を与えられたものを「紙幣」と呼んでいる。紙幣は、ものとの交換を保証する「兌換紙幣」として始まったが、やがて貯蔵されている貴金属の「実質価値」を超える「額面価値」の紙幣が発行されるようになり、最終的には、貴金属との交換そのものを前提せず、国家等の「信用力」のみで流通する「不換紙幣」が発行されるようになった。

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